1954-10-04 第19回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第5号
榊原 亨君 中山 壽彦君 高野 一夫君 高橋 道男君 湯山 勇君 事務局側 常任委員会専門 員 草間 弘司君 常任委員会専門 員 多田 仁己君 参考人 帰国者集団長西 陵地区元華北交 通乗務員 湯浅 質治君 北京地区元軍医
榊原 亨君 中山 壽彦君 高野 一夫君 高橋 道男君 湯山 勇君 事務局側 常任委員会専門 員 草間 弘司君 常任委員会専門 員 多田 仁己君 参考人 帰国者集団長西 陵地区元華北交 通乗務員 湯浅 質治君 北京地区元軍医
○川端委員 それでは相馬さんに、先ほどの願書の問題でありまするが、あなたが天津地区で願書をお出しになりまして、そうして手続をなさいましたときに相当の量の——先ほど鳥居先生は五寸くらいかの北京地区には書類があると言われましたが、あなたの願書をお出しになつた公安局にはどのくらいな量出ておりましたか、お伺いいたしたいと思います。
若い人も十四、五年、專門家というのは現在ほとんど外人で、日本人は私が北京地区では一人だつ出たと思います。中国人に專門家というのはあるかないかくらいです。ソ連人はまた部長の三倍ないし五倍もらつておりまして、これは問題になりません。 それでは大体生活はどういう程度で、どれくらいの給料なら食えるかと申しますと、一人が少くとも百斤はいるのです。
それで一日本人の旅行者が満洲地区から来まして、北京を見まして、満洲地区と北京地区はまるで書と夜の感じがすると言う。それからあるドイツ技術者が政府の命令によつて、昔の豊満ダムの破壊のあとを日本の発電機を輸入するためにその調査に来ました。ところがその人の見解もやはり同様なんです。現在の満洲地区において人間らしい服装をしているのはソ連人だけだ、あとの者はボロボロの服を着ているということを言つています。